大谷翔平(27歳、投手&DH、右投げ左打ち、193cm、背番号17)
満票でMVP!さらに飛躍の年へ!
Embed from Getty Imageswindow.gie=window.gie||function(c){(gie.q=gie.q||[]).push(c)};gie(function(){gie.widgets.load({id:'U807anOHT9dw8ZRkKA_3Jw',sig:'-FcKN6OgCjCutT9QvJFm7xtS6GaFOglSq-5U4bQ102s=',w:'594px',h:'396px',items:'1344396611',caption: true ,tld:'com',is360: false })});
2021年を振り返る(投手編)
2021年の成績(投手)
試合 | 勝利 | 敗戦 | イニング | 失点 | 防御率 | 三振 | 四球 |
26 | 9 | 2 | 130.1 | 46 | 3.18 | 156 | 44 |
本人曰くまだトミー・ジョンからの回復過程で始まったシーズン。4月は球速こそ100マイル越えを連発したものの制球が定まらない試合も多く安定を欠いた。
シーズン途中で投球スタイルを変更
しかし6月30日のヤンキース戦を境に見違えるようにコントロールがよくなった。この試合は大谷が先発したが2安打4四球(自責点7)で1回持たずに降板した試合だ(ちなみに9回にウォルシュの同点満塁弾が飛び出して大谷の負けを消し、11対8で勝った)。
大谷はこの試合まで60イニングで35与四球だったが、以降は70.1イニングで9与四球と劇的にコントロールが改善した。それまでは常に96-98マイル以上のフォーシームを投げていたが、7月以降は94-96マイル程度に抑え、速いボールを投げることよりも制球重視になったのは明らかだった。球数も減り1試合当たりの投球イニング数も5.0回だったのが、6.1回まで伸びた。
明らかにヤンキース戦の失敗から学び、無理に三振を狙わず球数を抑えながらも得点は許さない。そして勝負所ではギアを上げて伝家の宝刀スプリットで三振に切って取る。勝ち星こそ恵まれなかったが後半の大谷はまさに無双だった。
結局大谷はエンゼルスの投手陣では、先発数(23)、投球イニング数(130.1)、勝ち星(9)、勝率(.818)、奪三振(156)でトップとなり低迷したエンゼルスの投手陣を引っ張った。
トミージョン手術から3年半経過となる2022年シーズンは文字通り完全復活の年になるはずだ。球速、コントロール、変化球のキレ、投球術そしてスタミナ。投手として必要なもの全てを高い次元で保ち、エンゼルスの大エースとして君臨するに違いない。唯一の心配はケガだけだ。
2021年を振り返る(打者編)
2021年の成績(打者)
打率 | 本塁打 | 打点 | OPS | 盗塁 |
.257 | 46 | 100 | .965 | 26 |
世界に衝撃を与えたリアル二刀流
世界に衝撃を与えたのは投手としてシーズン初先発となった4月4日のホワイトソックス戦だ。マドン監督はDHを解除し、大谷を2番投手でラインアップに加えた。いわゆるリアル二刀流がついにメジャーの世界で実現したのだ。大谷は1回表の投球で100マイルを連発し、トミージョン手術からの完全復活を印象づけた。
そして1回裏に回ってきた第1打席でホワイトソックス先発のディラン・シースの高めのボールを強振するとボールはあっという間に右中間スタンドに消えた。先発投手が2番に座り、完璧なホームランを打った。この瞬間、100年の間誰もが不可能と思っていたメジャーでの投打二刀流が現実のものになったのだ。
4月、5月で大谷は本塁打を15本放つと、6月になるとさらに加速、25試合でホームラン13本と大爆発し月間MVPにも輝いた。オールスター前には33本に到達し、これはシーズン60本打つのではないかと周囲が騒がしくなった。
オールスター後は勢いが止まる
しかし8月になると勢いが止まった。トラウト、レンドーンをケガで欠いた打線は大谷だけケアすればいいと、相手チームは大谷とはムリに勝負しなくなり四球が増えた。同時にオールスターでのホームランダービーに出た影響なのか、引っ張る打球が増え大谷の持ち味であるセンターから左方向へのホームランは姿を消した。
オールスター前までの89試合で打率.279、本塁打33本、OPS1.062と打ちまくったが、オールスター後の66試合では打率.229、本塁打13本、OPS.840と一転して低迷した(普通の選手ならば十分な成績ではあるが)。
一時は2位に5本の差をつけて独走していたホームランキングの座も9月にはゲレーロJr.らに抜かれ、最終的には3位に終わった。
それでも打者として155試合に出場し、639回打席に立って46本のホームランを打ち、OPS .965を記録。これが投手の打撃成績だというのだから、選手もファンも驚くしかなかった。誰もが「他の惑星から来た」「非現実的」「ビースト(野獣)」と言った感想を抱くのも当然だった。
走塁も超一流を証明
加えて走者としても数々の印象的なシーンを作り出した。サヨナラの本塁突入もあれば、ホームスチールも記録した。三塁打数(8)はリーグ最多、盗塁数(26)はリーグ8位だ。
かくして投打走でケタ違いの活躍を続けた大谷は満票でア・リーグのMVPに選ばれた。
2022年スプリング・トレーニング
労使紛争が長引き、大幅に短縮されたスプリングトレーニングだが、大谷はここでも投打で順調な調整を見せている。投手としてはトミージョン手術からのリハビリが完全に終了し、今季はエースとして15勝、防御率2.50以下を目標にするだろう。
打者としてはDH解除時のルール改正、ナ・リーグでもDH採用という大谷にとって追い風のルール変更が行われ、今季は50打席以上上積みされると思われる。マドン監督が1番で起用し続ければさらに打席数は増えるだろう。加えてトラウト、レンドーンが復帰して大谷の後を打ってくれれば大谷と勝負を避ける戦法は取りにくくなる。今季は本塁打50本、OPS 1.000越えが目標になるだろう。
FA権取得を控えて契約の延長交渉に注目が集まる
2022年は2年契約の2年目で年俸は550万ドル。ちなみに日本ハム時代の最後の年俸は2億7000万円。2021年の年俸は300万ドルだったが、投打ほとんどの部門でエンゼルストップの数字を叩き出し、満票でMVPを獲得する活躍を考えたら信じられないほど格安である。
今シーズンが終了すればオフは最後の年俸調停の年になり、その1年後にはいよいよFA権を取得する。あと2年はエンゼルスが保有権を持つが、エンゼルスとしてはこれほどのタレントと人気を持つ大谷とは是が非でも契約を延長したいところだ。ケガさえなければ7年3億ドルとかとんでもない巨大契約になるだろう。しかし万が一2023年の7月までに契約延長にこぎ着けられなければ、それは大谷選手はエンゼルスを出るという決意を固めたと言うことであり、エンゼルスはオフを待たずにトレードで放出して対価を得るという選択をせざるを得なくなるだろう。大谷がFAとなれば、ドジャースやヤンキース、メッツなど金に糸目をつけず大谷を勧誘しようとする球団はあるだろうが、そもそも金額の多寡は大谷の判断にはほとんど影響を与えないと思う。
エンゼルス残留を信じる理由
管理人は、大谷はあっさりエンゼルスと契約延長すると思う。若手が伸び、投手力の整備が進んでいる現在のチーム状況は中期的には上向きである。これから上昇していこうというチームを捨てて、環境を変えてまで他のチームに移籍するという選択肢は大谷にはないだろう。残留して今いる仲間達とエンゼルスを優勝させるという極めてポジティブな目標に勝る動機はないはずだ。
懸念材料は贅沢税を絶対に払いたくないモレノ・オーナーだ。しかし勝利以外にも大谷がもたらす数々の経済的メリットを考えれば、大谷を手放すのはバカとしか言い様がない。さすがのモレノもそこは折れるはずだ。折れなければただのバカ殿だ。
エンゼルス入団以降の大谷翔平を振り返る
2018年は衝撃のデビュー
キャンプでは投打とも全くパッとしなかったが、開幕直前にノーステップ打法を取り入れて見事に修正してみせた。投手として初登板で初勝利、その後3試合連続ホームランを挟んで、次の登板は7回1死までパーフェクト投球と誰もが驚く結果を残した。米国のスポーツニュースでも毎晩のように大谷の活躍を伝えるニュースが流れた。
最速102マイル(163km)のストレートと魔法のようなスプリットを操る投手が、打席に立てば誰も飛ばしたことのないスタンド最上段にまでかっ飛ばす。ファンは大谷の投球、打撃に熱狂し、「SHOWTIME」のニックネームも定着した。当初は二刀流に懐疑的だった米国の解説者達を黙らせる結果を残した。
その後、ヒジの故障で戦列を離れたが、7月に打者として復帰するとシーズン終了まで打ちまくって実質的にトラウトと二人でエンゼルス打線を引っ張った。
しかしながらヒジの故障は思ったように回復せず、結局シーズン後のトミー・ジョン手術を選択した。それでも打者としてシーズン終了まで試合に出続け、低調だったエンゼルスを最後までプレーオフ争いに踏みとどまらせる原動力となった。
2019年、トミー・ジョン手術の影響で打者専念も91試合の先発にとどまる
大谷はシーズン終了の翌日にすぐトミー・ジョン手術を受け、2019年は打者専門で出場することになった。しかし開幕には間に合わず5月7日が初出場。結局この年はDHとして91試合に先発出場したのだが、オースマス監督は頻繁に休養(5試合)や代打起用(15試合)を設けたため思ったようには打席は増えなかった(日程的には最大で113試合に出場可能だった)。特に相手先発が左投手だからと大谷を引っ込めてプーホルスを起用する采配にはセンスが感じられなかった。
また大谷は慢性的なヒザの違和感、痛みを抱えていたが、それは先天的に左膝蓋骨が2つに分かれていたため(二分膝蓋骨)と判明し、その修復手術を受けて9月11日が最後の試合となった。
夏場は絶好調だったが終盤はやや息切れ
復帰直後はやや波に乗れなかったものの、3週間ほどすると上向きはじめ、5月28日からオールスターまでの1ヶ月半はサイクルヒットも記録し、打率 .341、12本塁打、OPS 1.075と打ちまくってトラウトと打線を引っ張った。
大谷は8月24日の試合まで3割をキープしていたが、ヒザの痛みもあったのか最後の4試合は15打数2安打と失速してシーズンを終えた。結局1年目に比べると打席数は増え(367→425)、打率(.285→.286)と打点(61→62)はほぼ同じ、本塁打(22→18)とOPS(.925→.848)は低下した。
今ひとつ数字が上向かなかったのは開幕に間に合わずスプリングトレーニングで十分な準備できなかったこと、最後はヒザのトラブルが出たことが原因と思われる。もしオースマスが全試合で先発起用していればあと100打席近くは増えたはずで本塁打も2018年以上に打てていただろう。
2020年、いよいよ二刀流復帰が秒読みへ
メジャーではルール変更で、ベンチ入りする選手は「野手」「投手」「二刀流選手」のいずれかで登録することとなった。メジャーで二刀流登録の条件を満たしているのは大谷選手のみだ。2020年シーズンは打者としては開幕からOKだが、マドン監督によると投手としての復帰は5月15日が目標となっている。3月上旬の段階でブルペンではすでに時速140km程度のストレートを投げているというが、トミー・ジョン手術の後は球速が上がるというデータもあるくらいなので、果たして復帰した時にどれほどの球速が出るのか楽しみだ。
マドンの二刀流起用法は?
魔術師の異名を取るマドンだが、二刀流のコンセプトは20年以上前から持っていたと言い、それを体現する大谷を得たことでどのような采配をするのかにも注目が集まる。
デビュー年は投手として1週間に1度登板し、その前後の日は休養に充て、真ん中の4日をDHとして出場するというサイクルだった。マドンは少しでも大谷の打力を打線に活かすために登板日の翌日も打席に立たせることも考えているようだ。
DH解除のリアル二刀流はあるか?
マドンはDHを解除して投手として打席に立ついわゆるリアル二刀流についても言及した。
マドン監督(2019年12月にサンディエゴで開催されたウインターミーティングで)
「リアル二刀流をやらない理由はない。年に50打席は増やせる。“か弱い”女性のような扱いをすべきではない。厳しいことも乗り越えてきた」
ちなみにメジャーでは2016年にサンフランシスコ・ジャイアンツがDHが使えるア・リーグとの交流試合で、DHを起用せず打撃に定評のあった先発バムガーナーを9番に入れた例がある。
またDH解除した場合、大谷を1番打者で起用するアイディアも持っている。それはDHを解除すると大谷がマウンドから降りれば、どこかの守備位置にでもつかない限りもう打たせることは出来ないからだ(ルール上一度DHを解除するとその試合ではもうDHを使うことは出来ない)。仮に大谷が6イニング投球するとして、1番打者ならばその6イニングの間に少しでも多く打席が回ることが期待できる。
同じような発想で大谷が登板予定の試合ではオープナーを起用するというアイディアもある。オープナーと大谷で7イニングを投げられればさらに大谷の打席は増える。さらにエンゼルスが後攻の場合DHを解除して1番打者にオープナーの投手を入れ、1回裏のオープナーの打席ですかさず代打大谷、そのまま2回から投球させるという手を使えば、7回裏まで1番大谷で戦えるのでさらに打席が増えるだろう。
しかしオープナー起用の問題はオープナーが初回に失点してしまった時、果たして初回からビハインドの状態で実質エース格の大谷を注ぎ込む価値があるかという点だろう。
ムキムキの上半身に話題集中
スプリングトレーニングには上半身を見事にビルドアップした身体で現れた。球界のご意見番を自認する張本などは「野球選手には必要ない」とバッサリ。一方で現代的なトレーニング理論では決して間違っていないと言う意見もある。当の大谷はケガの防止とパワーアップが目的とし、それなりの知見を得た上でトレーニングを行っているようだ。
大谷
「別に野球だけというわけではないので、基本的にアスリートとしてしっかり全方位的に動ける体がまず必要ですし、トレーニングで獲得できる部分はしっかり獲得して、あとは技術とすり合わせです」
果たしてどちらが正しいのか、ファンとしては大谷のプレーを見る楽しみがまた1つ増えた。金田、野村と日本プロ野球のスターが徐々にこの世を去る中で、張本氏には長生きしてもらい、この論争の結末を最後まで見届けてほしいものだ。
そして2020年は打者としては44試合に出場したものの、ノーヒットの試合が半分以上の24試合もあり、複数安打を放った試合はわずか6試合。20打席連続ノーヒットのスランプもあって、打率は常に2割前後をウロウロ。すでにプレーオフが絶望となっていたにもかかわらず、9月にはスタメンを外れることも多くなった。一度も爆発しないまま最後まで波に乗れず、打者としても不完全燃焼のシーズンだった。
度重なる故障もあって二刀流継続に関する疑問も多く投げかけられた。しかし大谷はあきらめていない。当然投手としても打者としてもチームに貢献できると信じている。また投手が絶対的に足りないというエンゼルスのチーム事情もあり、2021年も二刀流継続することとなった。
大谷選手のプロフィール
岩手県奥州市出身。右投左打、身長193センチ、体重92kg、血液型B型。なお、7歳年上の兄も社会人野球でプレーしており、身長も187センチあるという。
元野球のセミプロの父と高校で全国レベルのバドミントン選手だった母との間に、3人兄姉の末っ子として生まれる。小学3年生からリトルリーグで野球を始め、全国大会にも出場し、当時から投打で圧倒的な才能を示した。リトルリーグ時代に父のアドバイスで左打ちに転向。生来の器用さもありあっという間に習得したという。リトルリーグの練習場は、ライトフェンスの外に川があり、大谷があまりにライトの場外に飛ばして、川にボールを打ち込んでしまうので、監督からレフトへ打つように指導されたという。
高校時代は甲子園に2回出場したものの目立った成績は残せず
高校は甲子園で活躍した菊池雄星に憧れ、花巻東高校(私立)に入学。2年の夏と3年の春の2回、甲子園に出場した。投手としては150kmという球の速さは目立ったものの、荒削りすぎて、通算で14イニング、防御率3.77、16奪三振という平凡な成績に終わっている。野手としては2試合で打率.333、1本塁打であった。しかし高校3年の夏にアマチュアの投手としては史上最速の160kmを記録し、一気に注目されるようになった。この記録は現在もアマチュア記録として破られていない。この時点ですでにドジャース、レンジャース、レッドソックスなどのメジャー球団から注目され、本人もメジャー行きを意識するようになった。
高卒メジャー挑戦を表明したが、一転、日ハム入り
2012年オフに日本ハムからドラフト1位指名を受ける。当初は高卒メジャー行きを目指していたため固辞していたが、日本ハムから「メジャーに行くための日本プロ野球入り、および二刀流の実現」というシナリオを示されて次第に軟化し、最終的には入団を決める。
未完の大器がついに覚醒
日ハム入団後は先発投手と外野手を同時に行う二刀流を目指した。2014年にはNPB史上初となる「2桁勝利・2桁本塁打」(11勝、10本塁打)を達成。翌2015年には最優秀防御率、最多勝利、最高勝率の投手三冠を獲得。
2016年には、NPB史上初の「2桁勝利・100安打・20本塁打」を達成。投打両方で主力としてチームのリーグ優勝と日本一に貢献した。そしてNPB史上初となる投手と指名打者の2部門でのベストナインの選出に加え、リーグMVPに選出された。この年の7月3日ソフトバンク戦では1番、投手として出場し初球先頭打者本塁打を放った。投手の先頭打者本塁打は世界初の出来事だった。また、自身の持つNPB最速記録を更新する球速165kmを記録し、現在でも日本記録である。
故障に苦しんだ2017年
しかし、2017年は春先に足首を痛め、シーズンを通して故障に苦しんだ。結局、投手としてはプロ入り後ワーストタイの3勝、野手としても65試合出場、8本塁打という成績に終わった。しかし、最終登板となった10月4日のオリックス戦ではプロ野球で66年ぶりとなる「4番・投手」で出場し、打席では4打数1安打、投球では10奪三振の完封勝利を記録し、投打とも最高レベルの実力を印象づけた。
メジャー挑戦を表明
2017年11月11日、今オフにポスティング制度でメジャーへ挑戦することを表明。メジャー全球団が獲得に名乗りを上げたが、ドジャースやヤンキースなど有力球団への入団が取り沙汰されるようになった。
11月29日に代理人を通じて全30球団に対し、「自身に対する評価」「今後の育成法」についての質問状を送付。12月4日に書類審査の結果、移籍先を7球団に絞ったと代理人が発表。落選した球団にはヤンキースやレッドソックスといった名門も多く含まれており、米国でも大きな反響を呼んだ。
エンゼルス入りを決断
12月8日、代理人よりロサンゼルス・エンゼルスと契約合意に至ったと発表され、球団側も大谷の獲得を表明した。翌9日にマイナー契約を結び、本拠地のエンゼルスタジアムで入団記者会見が行われた。会見には約1000人のファンも駆けつけ祝福した。隣接するチームストアでは入団発表から24時間もたっていないにもかかわらず、背番号17の真新しい大谷のTシャツが早速売られ、約30ドルという価格にも関わらず飛ぶように売れていった。
「相場の100分の1」 低く抑えられた契約金と年俸
メジャーでは2016年オフに選手会とリーグによる新協定を結び、25歳未満の外国人選手と契約する際、契約金の総額を球団あたり年間575万ドルとした。経営者側としては獲得競争による契約金高騰を抑制でき、選手側としても有限の資金を外国人選手に回されたくないという両者の思惑が一致したことによる。具体的にはキューバ選手の獲得競争を念頭に置いたものと思われる。
さらにこの協定で獲得した選手は最初はマイナー契約を結ぶこととされ、仮に開幕までにメジャー昇格を果たしたとしても、メジャー最低年俸(当時で54万5000ドル)に抑制されることになる。さらに初めてメジャーに上がったアメリカ人選手と同様に、年俸調停権を得るまでの期間も3年とされた。
23歳の大谷もこの協定の適用を受け、契約金はエンゼルスが確保できた231万5000ドルに過ぎなかった。ちなみに日ハム側は、ポスティング制度で選手をメジャーに送り出す代償としてエンゼルスから2000万ドルの補償金を得ている。仮に大谷がこの協定の対象外となる25歳になるのを待ってからメジャーリーグ入りすれば、田中やダルビッシュ以上の大型契約が見込まれ、彼の得る契約金と年俸は総額で軽く2億ドルを超えただろうと言われている。つまり、大谷は相場の100分の1の金額でエンゼルスと契約したことになる。
大谷が何の躊躇もなく、超格安の金額でメジャー入りしたことは米国でも衝撃を持って受け止められた。多くのアメリカ人はどれだけお金を稼いだかが人生の成功の尺度と考えており、大谷の行動は「クレイジー」としか映らなかった。しかしお金ではなく純粋に自分の夢を追求する大谷の態度に感銘を受けた者も多かった。
プライベート
大谷は2016年12月にホリプロとマネージメント契約を結んでいる。CM出演やテレビ出演などのマネジメントをホリプロに任せたものと思われる。
プロ入りしてからの5年間、日ハムの練習場の脇にある独身寮で暮らし、車どころか運転免許すら持たなかった。二刀流実現のためには他人の倍は練習が必要と考えた栗山監督は、大谷に対して寮から外出する時は事前の届け出を義務付けたが、実際外出はほとんどしなかったという。大谷は「仮にそのようなルールがなかったとしても、大して変わらなかったはず」と語っている。上下関係の厳しいプロ野球の世界だが、先輩から酒席に誘われてもほとんど断ってしまう。クリスマス・イブですら外出せず練習場にいたというほどだ。
また本人は無趣味を公言しているが、あえて言えば読書とDVD鑑賞。食べ物にもこだわりはなく、洋菓子が好きだがカロリーを考えて和菓子を主に食べる。一番の好物はクレープ。
収入の殆どは両親にそのまま渡し管理を任せてしまっている。寮に住んでいるので衣食住もほとんど球団からまかなってもらっており、自分は小遣い代わりに毎月10万円ほどを親から回してもらうだけ。しかしその10万円すら使い切らず、200万円以上貯まってしまったという。
大谷のことをケチだという人もいるが、実際は金銭欲、物欲がなく、静かでつつましい生活が好きなだけのように思える。
運転免許をついに取得
2019年オフについにアメリカの運転免許を取得した。アメリカで免許を取るのは簡単で筆記テストに受かれば即仮免。カリフォルニアには日本語版の筆記テストもあるし、費用はわずか37ドルだ。仮免を取れば助手席に免許保持者がいれば公道を運転して構わない。あとは隣に試験官を乗せて一発試験に通れば即日免許交付となる。
本免許を取れるのは16歳からだが仮免は15歳になれば取得できるので、アメリカの多くの高校生は免許を持っている。
免許証は車を運転するだけでなく、住所、名前、年齢を示す身分証明書としていろいろな場面で必要とされるのでアメリカで2年以上暮らしている大谷選手がこれまで免許を持っていなかったことはレアケースだ。
大谷選手は免許取得後、早速自家用車にテスラを購入したという。初めて買う車が電気自動車とは!ガソリンの入れ方とかいつまでたっても経験できないんじゃ?